(25)21回目の辛酉と甲子令革

ミマキイリヒコの崩年の前に、『書紀』編者が依拠した讖緯説辛酉革命論の話をしておきます。 カシキヤ女王(推古)九年の辛酉(西暦601年)から一蔀(1260年)さかのぼった紀元前660年に初代大王の即位を設定した、と通説はいうのですが、西暦601年のヤマト…

(24)ハツクニシラススメラミコト

1945年8月15日、大日本帝国が連合国に無条件降伏して、『書紀』や『古事記』の文献批判が自由になりました。天皇の万世一系に科学的研究のメスが入った結果、初代天皇が紀元前660年に即位したというのは創作で、イハレヒコ(神武)は架空、第10代ミマキイリ…

(23)本当の王統始祖神は誰か

アマテラス(天照)神は日神であると同時に神に仕える巫女であり、ヤマト王統の始祖(「皇祖」という意味ではありません)ということになっています。神さまの系図は次のようです。 アマテラスーーオシホミミーーニニギーーホホデミーーフキアヘズーーホホデ…

(22)天照大神と高天原は後付け

ミマキイリヒコのときイカガシコヲが大物主神を三輪山に祀ったとき、天照大神はどこにいたのかーーこの問いに対する一つの答えは「高天原」です。『書紀』に「天照大神は高天原を治めるべし(天照大神者可以治高天原也)」とあることに依っています。 ただし…

(21)そのときアマテラスはどこにいたか

『書紀』や『古事記』が記す神話は、天津神と国津神が織りなす世界です。天津神は高天原にいて、その中心はアマテラス(天照)です。ヤマト王統の始祖であり、ヤマト王統が祭祀しました。 一方の国津神は葦原中国にもとからいた神さまで、オオモノヌシ(大物…

(20)祭祀譚から読みとる大物主神の正体

大物主神は多くの異名を持っています。 『書紀』巻第一には「一書曰」として、 大國主神、亦名大物主神、亦號國作大己貴命、亦曰葦原醜男、亦曰八千戈神、亦曰大國玉神、亦曰顯國玉神。其子凡有一百八十一神 の文言が見えています。多くの名前を持ち、「其子…

(19)大物主神を祀ったのは物部氏

物部氏を話を続けます。 物部氏の「物部」は、ヤマト王権の内では「モノ」を司る専門集団を指しました。日本史における読みは「もののべ」が一般的ですが、「もののふ」「ものべ」とも読んでいます。 ウィキペディアによると「古代日本の朝廷の兵(軍事)・…

(18)物部氏が支えた「物部王朝」

大デレゲーションで河内國哮峯(いかるがのみね)に天降り、草香邑を「日本」と名付けたニギハヤヒの子孫を追ってみましょう。ここで扱うのは、「物部」の名乗りが固まるまでです。 物部氏の遠祖はニギハヤヒの次男として生まれたウマシマヂ(宇摩志麻遅、ウ…

(17)物部氏の本籍は九州だった

物部氏の天孫降臨伝承が記載されているのは『先代舊事本紀』という書物です。偽書とする研究者が多かったのですが、現在は貴重な歴史資料として認められています。 日向襲之高千穗峯に天降ったニニギがアマテラス大神から預託されたのは鏡、勾玉、剣の三種、…

(16)もう一つの天孫降臨伝承

『書紀』の巻1~3にはヤマト王統の始祖伝説が記載されています。 鶏卵を溶いたようなカオスの中から神々が現れ、高天原が形作られ、アマテラス(天照)大神の孫であるホノニニギ(火瓊瓊杵)尊が葦原中國(あしはらノなかつこく)の日向高千穗峯に天下った…

(15)『書紀』の「くさか」を探る

「日下(ひノもと)の」が「くさか」にかかる枕詞なので、「日下」に「くさか」の読みが当てられた——というのが通説です。ところが「ひノもとのくさか」と詠んだ歌が確認されていません。一方、漢字の音・訓の観点では、「日」の読みに「く」または「くさ」…

(14)「日下」を「くさか」と読む理由

「日本」の読みは「ニッポン」か「ニホン」かというと、「どちらでもいい」が正しい答えです。企業や団体の登記上の読み方はあるにせよ、ルビを振らない限り「ニホン」が7割、「ニッポン」が3割という調査があるようです。 いずれにせよ、「ニチ・ホン」が…

(13)「日本」の異称から見えてくるもの

「倭」も「日本」も中国が設営した交易市場への入場証であり王統の名乗りですから、自称であれば命名者は王権の主体者、他称であれば中国か朝鮮半島の王権です。そこで他称自称を問わず「日本」の異称を調べると、次のようなものが見つかります。 (1)委奴…

(12)上柱國禰公墓誌に見る「日本」

この列島の王権は、中国王朝の命名による「倭」を疑いもなく受け入れ、王権の名乗りとして使ってきた。それを「日本」という名乗りに変えた(変えようとした)のは668年ではないか、というのがこれまでです。 668年に何があったかというと、葛城王が大…

(11)「書紀」引用の「日本世記」

禰公墓誌の「日本餘噍拠扶桑以逋誅」について、「日本」をヤマト=大海人王・親新羅陣営、「扶桑」を大津=葛城王・親百済陣営と理解することも可能です。しかしそうなると、672年に唐の都に至った第7次遣唐使・河内鯨がなぜ「扶桑」でなく「日本」を名…