(42)倭人は神仙からの使い

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そもそも論に戻ってしまうようで恐縮なのですが、中国や朝鮮半島の古文書に現れる〈倭〉の表記は「倭」「倭人」「倭地」「倭王」「倭国」など様ざまです。

これまでの通説(教科書日本史)は「倭とは古代の日本のこと」と定義しているのですが、『漢書』地理志の燕地条にある「樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云」(楽浪の海中に倭人有り、分かれて百余国と為し、歳時を以って来たり献じ見ゆと云ふ)の「倭人」を「日本人」(日本列島の住人)とすると、海の中に人がいることになってしまいます。

龍宮城じゃあるまいし、地理について語っているのだから「海の向こうの島に」なのなら分かるけど、というわけです。

同じ『漢書』地理志の呉地に「會稽海外有東鯷人分爲二十餘國以歳時來獻見云」(会稽海外に東鯷人有り、分かれて二十余国と為し、歳時をもつて来たりて献じ見ゆと云ふ)という記事が出ています。こちらは「海外」となっています。

ちなみに「鯷」は、現在はヒシコイワシのことですが、漢の時代はナマズを指していたそうです。会稽は現在の紹興市、中国で最初に樹てられた伝説上の「夏」王国の発祥地であり、呉・越族の故地とされています。だけでなく「東鯷人は九州南半から琉球諸島、台湾島にかけて住んでいた海洋民族の総称」とする説もあって、本稿と無縁ではありません。

楽浪海中の倭人に話を戻すと、海の中に人がいるのはおかしい。だから「倭人」は日本人、アメリカ人という意味の「人」ではなく、地上のどこかの名称だろう、という意見があります。「人」の文字が付いている地名というのは妙な感じですが、理屈からすると編著者の班固にはそういう認識があったのかもしれません。

『漢書』とほぼ同時期に成立した『論衡』は「倭人」と表記しています。編著者の王充という人は会稽の人で、班固の父である班彪が開いていた私塾で班固と一緒に学び、A.D57年、洛陽の大路を練り歩く「委奴國」の使節団をリアルな出来事として体験しています。

後ほど詳細に見るとして、春秋戦国の時代(B.C770ごろ)から一貫して、古代中国(華夏)の人たちは、「倭人」は神仙からやってきた不思議の人、と理解していたのです。華夏の人たちにとって、瀛州、方丈、蓬莱の東海三神仙は、西域の崑崙仙界と並んでほとんど信仰の対象でした。

倭人は人ではあるけれど尋常の人ではないーーそれは、倭人が中国大陸のあちこち、遼東半島、渤海沿岸、山東半島、長江河口周辺に、海の中から現われるように出没し、長命の煎じ薬やヒスイ、真珠などを華夏の人々にもたらしたからにほかなりません。

長命の煎じ薬は「暢」「鬯」と表記され、乾燥させたウコン草とも蓬草とも考えられています。また糸魚川や富山県の海岸で産するヒスイを、華夏の人たちは龍の化身と理解していました。四神獣の龍が東方に配置されたのは、そんなことに理由があるようです。

「魏志」も「倭人在帶方東南大海之中」(倭人は帯方の東南、大海の中に在り)で、有と在の違いはありますが「倭人」「海中」です。魏帝国はさぞかし神仙の実態を知りたいと思ったことでしょう。

 

口絵:ヒスイで知られる宮崎海岸(富山県)