(43)北東アジアのヴァイキング

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「魏志韓伝」が伝える「國出鐵韓濊倭皆從取之國鉄を出す、韓・濊・倭、皆従いて之を取る)」は、おそらく2世紀後半の韓地の様子です。あまり触れられていないのは「從」の一文字についてです。

当時、鉄はたいへん貴重な資源でした。しかし韓・濊・倭の人々が流血の争奪戦を繰り広げなかったのは、公孫「燕」國が取引ルールを定めていたためではないか、と思いいたります。 『漢書』に「楽浪海中有倭人」が登場するのは「地理志」の燕地条です。燕地(北京周辺)は鉄を産出していました。倭人は楽浪郡を通じてその鉄を入手していたのでしょう。

そしてもとを質すと、公孫度の家は燕地の役人でした。公孫「燕」國は燕地が施行していた鉄取引のルールを、そのまま韓地の鉄に適用したのです。

ここで想起するのは北欧のヴァイキングです。古くさかのぼれば西暦8世紀末から11世紀ごろまで、北欧を拠点に北海から地中海、遠くは北米まで、交易と略奪を重ね、デンマークやイングランドに征服王朝を樹立しています。

前節で触れたように、2世紀以前の「倭」は東シナ海から渤海をテリトリーに交易をするかたわら、河口付近に基地となる漁労集落(コロニー)を形成し、河川を遡上して農地を広げる暮らしをしていたと思われます。ヴァイキングも母国では半農半漁でした。

ぐっと後世の事例ですが、黒潮に乗ってカツヲ(鰹)やクジラ(鯨)を追った紀州の漁民は房総にコロニーを作りました。紀州と房総に「白浜」「勝浦」「目良(房総は布良)といった地名が残っています。

紀州を出発した船は釣り上げたカツヲを房総で水揚げし、房総のコロニーでカツヲ節に仕上げて大消費地である江戸に出荷したのです。房総を出発した船は房総の醤油や江戸の文物を紀州に運んで商うことができました。

それは海に限ったことではありませんでした。大きな川をさかのぼって作ったコロニーは、山から切り出した材木や農産物の物流拠点(川湊、川津)となっています。

縄文人の主な生業を狩猟採集とすると、2世紀以前の「倭」の人々は交易が生業です。彼らが崇敬したのは海の神であり水の神でした。

代表格はワタツミ神です。

『書紀』は「海神」と書いて「ワタツミ」と読ませ、「豊玉彦」という名を与えています。ワタは「渡る」に通じ「海」のこと、ツは「津(湊)」もしくは接続詞「の」、ミは「神」の意。総じて「海と湊の守り神」です。

日本神話では海彦と山彦の話が広く知られています。山彦がワタツミ神の援助を得て山彦を服従させるので、一見すると陸の民が勝利したようですが、勝ったのはワタツミ神です。

海彦は漁労の民ではあっても、海辺で魚介類を採って暮らす狩猟採集の人々です。山彦がワタツミ神の宮に行って釣り針を手に入れるというストーリーは、ワタツミ神が交易の神でもあることを示しています。

ワタツミの名を引き継ぐ安曇(アヅミ)氏、河川湖沼を拠点とする諏訪氏、海のことを司った海部氏こそ、「倭」の後裔なのでした。

 

口絵:ヴァイキング(スカンジナビア・エクスプレスから)