(50)似た音で探す不合理

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意識するとしないとにかかわらず、中国大陸における歴代帝国の知識人が、それぞれの中華思想に基づいて周辺異族を観察・分析し、記録にとどめたーーそのように考えると、「倭人伝」の表記から推定される音に頼るのは、得策ではありません。

「卑彌呼」を「ヒミコ」と読んで「日の巫女」「姫御子」と解釈すると、「卑彌弓呼」の解釈に窮します。「卑彌+呼」「卑彌+弓呼」ですから、幹になるのは「卑彌」でしょう。そこで

ーーでは「卑彌」とは何か。

と『書紀』や『古事記』に似たような成語はないか、似たような音を持つ神さまや王族は登場していないか、と探るのはほとんど意味がありません。

狗古智卑狗を「菊池彦」と解釈して熊本県菊池の豪族(王)とするのも同じ発想です。そういう解釈が成り立つなら、「掖邪狗」は屋久島と関係があるという類推も可能です。

「倭人伝」は3世紀前半のことを3世紀末に編纂していますが、『書紀』や「古事記』は8世紀の編纂です。漢字の読み(音)は大きく変化しています。

確認のために書いておくと、紀元3世紀までの中国語の音韻は上古音といわれます。その教科書(ないし参考書)が許慎の『説文解字』だったり『魏略』逸文だったりします。

漢の劉氏が魏の司馬氏に禅定し、司馬氏は晉の曹氏に帝位を譲りました。前王統を滅ぼして帝位を簒奪したのではない、より善良な王統に「宇宙」を司る資格を譲ったのだ、という美しい建前です。

その晉(西晉)が316年、「劉」氏を名乗った匈奴族の王に滅ぼされました。翌317年のこと、建業(現在の南京市)にいた司馬一族の司馬睿が「晉」(東晉)を樹立しました。以後、隋が558年に大陸統一を達成するまで、漢王朝の正統を自認する王朝は240年にわたって建業を帝都としました。

この間、上古音に長江流域の方言が流れ込み、中古音と呼ばれる音韻が形成されました。 さらに8世紀以後、遣唐使節団の学生がもたらした中国知識人の標準語が「漢音」、遣唐使船が着出した長江流域の方言が「呉音」として日本語に取り込まれています。

「行」の拼音は「háng(ハン)」「xíng(シン)」、漢音は「コウ」、呉音は「ギョウ」「ゴウ」、唐音は「アン」という具合です。

では「邪馬台國」の表記にそれぞれの音を適用するとどうなるでしょうか。拼音は「イェマタイ」、中古音は「イァマタイ」ですから「ヤマタイ」に近いようです。 ですが漢音は「シャバタイ」、呉音は「ジャバダイ」」「ザバダイ」です。「邪」は「ジャ」、「馬」は「バ」と読んでいます。

これを「ヤマト」に置き換えるのは、「大和」に結びつける発想があるからでしょう。そのほうが、わたしたちが納得できるということですが、音が似ている場所を探すならジャワ島でしょう。

実際、「倭人伝」は「自郡至女王國萬二千餘里」(郡より女王國に至るには万二千余里)と記していて、当時の一里は約430mとされるので、単純に計算すると5千㎞を越えてしまいます。帯方郡(郡の役所は平壌付近)から南に5千㎞ならジャワ島の方が妥当ではありませんか。

 

口絵:ジョグジャカルタのプランバナン寺院