(72)阿蘇山があるじゃないか

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倭人が文身に用いたリモナイト

巨大な地震と津波が火山の噴火を連想させ、社会不安を増長させるのは、古今東西を問いません。富士山の噴火が平安貴族の心底に不安を植え付け、あるいは盤石とされていた徳川幕藩体制の根幹を揺らがしました。

「倭人伝」が記録するのは、東シナ海の黒潮グループ、渤海・日本海の青潮グループで構成されていた倭人が、日本列島に根付いて海彦・山彦の伝承を形成した時代です。水稲耕作と食菜栽培で陸に上がり、川をさかのぼって集落を形成したグループが、富と権力を分配する身分階層を形成して行きました。 

桜島や大山、富士山などは、海人にとってランドマークでした。海上から見える高い山は、岸に沿って航行するときの目印になりました。内陸の山が知られるようになるのは、陸上を徒歩や馬で移動するようになる5世紀以後、文字に残るようになるのは8世紀以後です。 

『書紀』の神話は海人の伝承がベースになっているという意見に対して、「日向襲之高千穗峯」の文言が載っているではないか、という指摘があります。なるほど宮崎県の高千穂峰(標高1574m)は海から見えません。しかし宮崎県の高千穂峰は、7世紀の後半から8世紀初頭にかけて國名を定めたとき、『書紀』の伝承を元に名付けられたと考えるべきでしょう。

そのような前提に立ったとき興味深いのは、華夏の文献に「阿蘇山」の文字が登場していることです。唐初の顕慶元年(656)に成立した『隋書』の俀國条、同四年(659)に成立した『北史』(華夏帝国の北朝:北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋を描いた正史)の倭國条がそれで、そこに倭國(俀國)には有阿蘇山があって、人々は火口が火を吹く様を神の仕業と見て崇めていること、「如意寶珠」という半透明の青い色をした神秘的な宝石があることが記されています。 

このうち『隋書』の俀國条は隋帝国の使者裴世清俀國に出向いた報告書をもとに記述されています。裴世清は俀國の都まで出向いています。それだけに、その記録に阿蘇山が載っているのはなぜか、という疑問が湧いてきます。

「如意寶珠」はラピスラズリのことではないかという人もいるようですが、過去も現在も、阿蘇山ないし九州北半にラピスラズリが産出するとは聞いたことがありません。

重要なのは『北史』と対の関係にある『南史』(成立年は『北史』と同じ)に、「倭國其先所出及所在事詳北史」(倭國の先の出ずる場所及び所在の事は北史に詳しとあることです。 

倭國其先所出」とは、7世紀ヤマト王統の先祖もしくは始祖の発祥地のことですから、そのまま受け取れば阿蘇山のカルデラ草原がヤマト王統の発祥地というわけです。そこに邪馬壹国があったのだとすると、卑彌呼女王(ないし3世紀倭人連合)が祀っていたのは阿蘇山であり、火の神だったことになってきます。 

阿蘇カルデラは阿蘇黄土(リモナイト=褐鉄鉱)や朱丹を産します。「倭人伝」が記す「以朱丹塗其身體如中國用粉也」(朱丹を以ってその身体に塗る。中国の紛を用いるが如し)と付合する記事です。「邪馬壹国=阿蘇」説はともかくとして、「倭人伝」が記録する倭人社会はますます筑紫地方に絞られるでしょう。