(137)朝鮮半島に縁がある海洋族

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武内宿禰誕生井(和歌山市武内神社)

「謎の4世紀」「倭の五王」について、好太王碑文、『三國史記』『宋書』『梁書』など周辺諸国の記録を優先せざるを得ないのは、『書紀』が恣意的な改竄・隠蔽・偽造・創作に塗り固められているためです。周辺諸国にとって「倭」は異族の1つに過ぎないので、よほどでない限りウソを書き連ねる必然がありません。

ただ『書紀』の記述が丸っきりウソかというとそうではなくて、何かしら史実を含んでいます。オキナガタラシ(氣長足:神功)姫、武内宿禰と一緒にホムダ(誉田:応神)が東征したこと、ホムダ、オホササギ(大鷦鷯:仁徳)、ワカタケル(幼武:雄略)の3代に「呉國」や高句麗との往来が記録されているのがその証です。

氣長足姫は新羅征伐のあと生まれたばかりの誉田王とともに宇佐から瀬戸内海を東に向かいます。それを知った第14代タラシナカツヒコ(足仲彦:仲哀)大王の長男であるカゴサカ(麛坂)王、次男のオシクマ(忍熊)王は東国の兵を集めるとともに、播磨の赤石(明石)に進出して迎撃の備えを整えました。

大和軍の動きを知った氣長足姫は、いったん紀州に誉田王を預けて、戦いに臨みます。その間、播磨の赤石で麛坂王は猪に食われ、それに不吉を感じた忍熊王は山背の菟道(宇治)に退き、次いで狹々浪の栗林(滋賀県大津市膳所)で瀬田川に入水して果てた――というのが、『書紀』の所伝です。

誉田王を紀州に預けたのは武内宿禰の生地だからとか、それは誉田王を王権簒奪者にしないためだろうといった推測があるところですが、武内宿禰も5代の大王に仕え330歳も生きたとされる人物ですから、総じて誉田王も伝説上の存在ということになってきます。いずれにせよ氣長足姫東征譚は、九州を発出した勢力が戦いを経て「三輪王朝」に取って代わったことを示しています。

興味深いのは、菟道の戦いです。『書紀』所伝によると、武内宿禰が「和議を持ちかけて、油断したところを急襲しよう」と奸計を巡らしたうえでの勝利だった、としています。正々堂々の戦いではなくて、「要するに勝てばいいのだ」と主張しているわけです。

しかも氣長足姫は道中でアマテラス、ワカヒルメ、コトシロヌシ、住吉三神を祀ってから進撃しています。神のご加護があっても最後は騙し討ちということを『書紀』は隠していません。

ちなみに天孫を自称する以上、アマテラス(ワカヒルメはその分身)を祀るのは当然として、氣長足姫がコトシロヌシと住吉三神も祀っているのが注目されます。

コトシロヌシは大物主で国津神の元締めのような神さまですし、住吉三神は海の神さまです。「三輪王朝」も大物主(国津神)を祀っているので、違うのは住吉三神です。

もう一つ、氣長足姫は新羅征伐に執着していましす、その出自である息長氏は琵琶湖北岸周辺を本拠とする古代豪族として知られます。若狭から近江に広がっていた渡来人系の氏族と考えられているようです。

このことからも氣長足姫に象徴される征服王朝の性格は、「朝鮮半島に縁が深い海洋族」ということができるように思うのです。