(148)ヤマトの音はヤマトだったか

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大和と筑紫の地名比較(『卑弥呼と邪馬台国』)

 ところで――ここから読み始めた人にとっては「何ノコッチャ」でしょうけれど、ワカタケルの本拠地が奈良盆地(大和)であることは何に依拠しているのでしょうか。それを記しているのは『書紀』と『古事記』であって、桜井市の大泊瀬朝倉宮跡伝承地から金石文が出てきたわけではありません。

 例えば伝承地から「獲加多支鹵」の文字が刻まれた鉄剣や銅鏡が発見されていれば「確定」的ですが、地名だけでいうと福岡県の太宰府のすぐ近くにも「長谷」(長安寺廃寺跡)と「朝倉」があるのです。しかもそこは第35/37代と2回大王になったタカラ(寳)女王(斉明)が、百済復興軍を支援するため、660年に王宮(朝倉橘広庭宮)を置いたところです。つまり九州王朝説でも「大泊瀬朝倉宮」を説明できます。

 さらにいうと、太宰府や朝倉宮がある甘木夜須郡に、奈良盆地の大和郷と同じ地名がズラリと揃っています。これは邪馬台国研究家の安本美典さんが1983年にPHP研究所から出版した『卑弥呼と邪馬台国』(同氏はもっと前から指摘されていたのかもされませんが)で発表されたことで、邪馬台国ファンに「目から鱗」の驚きを与えました。

 邪馬台国論争では、どこの「ヤマト」かの議論が盛んに行われました。そもそも『書紀』の編者も、「倭人伝」の邪馬壹国をヤマトとどう結びつけるか、卑彌呼女王を誰に比定するか頭を悩ましています。

 で、「ヤマト」の音を持つ地名として最も有名なのは、奈良盆地を擁するヤマト(大和)です。その次は筑後のヤマト(山門)でしょう。邪馬台国比定地の2大候補地です。「大和」「山門」「山都」など表記違いを問わずに網羅すると、全国に見つけることができます。

 「ヤマト」の語源(由来)は「山処」「山跡」「山門」「山東」だと言われています。「はやと(隼人)」の対語「やわと」が転訛したという説、アイヌ語「高貴=マト」+接頭語「ヤ」説、ヘブライ語「ヤウマト」説などもあるようですが、ここでは「ヤマ」を「山」とする説を検討します。

 「山」説で相違するのは、「ト」をどう解釈するかです。「処」「跡」は「山のふもと」、「門」は「山と山に挟まれた隘路」、「東」は「山の東」の意味です。「山のふもと」はさておき、ここで留意すべきなのは、どこから見た門・東か、でしょう。仮に邪馬壹国の時代から球磨川流域に邑国があって、そこの人々が山の東側、甘木野洲郡の一帯に至る隘路を、憧れをもってヤマトと呼んだのは理解できます。

 ただ、ここでテーマにしているのは王統と王権につながったヤマトです。それなら三輪山のふもと説がもっと有力ですが、気になるのは天平九年(737)、奈良盆地の表記を「養徳」に改めていることです。山処に「倭」が当てられ、「大倭」→「大養徳」→「大和」に改訂されました。

 養徳の音は「yǎng-tok」で、纒向の人々の発音は「ヤト」に近かったかもしれません。ところが『書紀』は、「マ」音が明確な「耶麻騰」と注を入れています。現在は「山処」も「山門」も同じく「ヤマト」ですが、方言の相違というレベルで王統の名乗りと地域の呼称は似て非なる音ではなかったか、と考えたりします。