(194)蘇我・阿倍臣と倭・済連合の復活

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帝王の娘スベクヒャン(チャンネル銀河)

 越王家オホド政権(オホド、マガリ、タカタの3代)の終焉に連鎖して起こったのは、物部麁鹿火の失脚と物部宗本家の復活だけではありませんでした。のちの推古天皇や聖徳太子、天智・天武天皇と称されるヤマト王統につながるたいせつな話です。

 『書紀』武小廣國押盾大王(第28代大王タカタ:宣化)元年(536)春正月条は、「以蘇我稻目宿禰爲大臣阿倍大麻呂臣爲大夫」(蘇我稻目宿禰を以って大臣と為し阿倍大麻呂を大夫と為す)と記しています。

 「大臣」は過去に武内宿禰、葛城圓、平群眞鳥、許勢男人らが就任していますが、「大夫」は初めて設置された役職です。

 タカタ王の大王即位には疑問符が付くので、ヒロニワ王の治世を投影しているのだろうと思います。まずここで、475年の百済・漢城陥落時に文周王とともに「南行」した木刕満致の後裔かもしれない蘇我稲目が大臣に、大夫に筑紫王家の一族かもしれない阿倍大麻呂が大夫に就任したことを抑えておきましょう。

 次に抑えておかなければならないのは、ヒロニワ王が越王家の嫡男であり、播磨王家・手白香女王の嫡男であるだけでなく、難波王家の王統を受け継ぎ、さらに三輪王朝の正統でもあるということです。過去に存在した王朝・王家を統合する存在として位置づけられています。これほど条件を整えた後継者というのは、創作以外の何ものでもありません。

 ヒロニワ大王は『書紀』が「天国排開広庭」の諡号を伝え、起居宮の所在地にちなんで「志帰嶋」「斯帰斯麻」の異名が伝わっています。ところが王子のころの呼称(例えば葛城大王:天智の「中大兄」)が分かりません。そのために「欽明不存在」説があるのですが、『書紀』の所伝は実在を主張しています。

 ――カギを握っているのは、実は生母とされる手白香女王。

 という指摘があります。

 手白香女王は、倭國で誕生し41歳まで倭國で過ごした百済第25代武寧王(在位462~523)の王女だ、という説があるのです。538年、ヤマトのヒロニワ大王に仏教を伝えた聖明王(523~554)の異母妹ということになります。

 1970年に韓国の歴史学者が唱えた説だそうで、それによると、王女の名は雪蘭(ソルラン)といい、通称というか愛称「百済を守る花=スベクヒャン」を日本語に直すと「守白香」になるというのです。「守」は「手」に通音するので「手白香」というわけですが、これは韓国の歴史ドラマ『帝王の娘スベクヒャン』に由来する仮説(というか妄想)といっていいようです。

 とはいえ、武寧王は嫡男の太子淳陀王を倭国に残していますし、その実父の東城王も兄弟が倭國にとどまっています。倭國にとどまった百済王族が倭國の中に百済王統の分家を樹て、筑紫王家ないしヤマト王統と婚姻を結んだことは否定し切れません。

 事実上、ヒロニワ大王の即位とともに蘇我稲目、阿倍大麻呂が執政官に抜擢され、それまでヤマト王権の中枢を担ってきた大伴金村と物部麁鹿火を追い落とした――倭・済連合陣営が形を変えて復活したようです。